会社の基盤を作った技術者でもある創業者。黎明期ならではのエピソードと「製造業の未来」について --佐々木鴻治顧問インタビュー

メンバー紹介

兄とともに、会社の黎明期を迎えて…

--顧問は会社の立ち上げに関わったとのことですが、きっかけを教えてください。

私はもともと自動車関係の大手企業に勤めていました。前社長である兄は、すでに前身の佐々木製作所を立ち上げていたので「もし辞めたら使ってくれる?」なんて冗談で言ったこともありました。

そんな兄が佐々木コーティングを立ち上げる際、「一緒にやらないか」と…。

私にとってその言葉は意外でした。今ではわかりませんが、兄弟で一緒に仕事をしたかったのかもしれませんね。それで前職を辞め、会社が完成する数ヶ月前に入社しました。

--そもそも、前身の佐々木製作所さんはどのような経緯で創業されたんですか?

兄である前社長は当時、発泡ウレタンをプレス等で加工する会社に勤めていました。決して野心家ではなく、なんとか食べていければいいと思うタイプで、「機械一台あればできるだろう」と独立。しかし兄の思惑とは異なり、そのうち機械が10台20台と増えていきました。

--大手企業に勤めている側から見て、どんなふうに映りましたか?

当時は正直「中小企業は楽でいいな」と(苦笑)。繁忙期は大変そうでしたが、閑散期の時には旅行に行ったりと、マイペースな兄の性格に合っているなと思っていました。

--なるほど。そんなお兄様とともに立ち上げた会社は、すぐに軌道に乗ったんでしょうか?

会社を立ち上げる前、とある商権が得られるとわかっていたので、すぐ軌道に乗ると予測していました。ところがまさかのバブル崩壊。担当者からも「考え直した方がいい」と言われましたが、前社長も私も心が決まっていたのでそのまま進みました。

ですから最初は全く仕事がなく機械の掃除や草取りをする毎日で、それが約1年ほど続きました。

--そのあと上昇していったのはどんなきっかけがあったんですか?

会社ができて3年後くらいですね。自動車に内貼りする防音材の商権を獲得した時です。今までが嘘のように急に忙しくなりました。生産能力はまだまだ低く、資金もなかったので機械を増やせず、とにかく生産性を上げていきましたね。

その2, 3年後には、さらに大きな企業から内装製品の引き合いがありました。奇しくも私の古巣からのオーダーでした。品質基準の厳しさは痛いほどわかっていましたので、取引するか正直迷っていたところ、信頼している品質担当の部下に「面白そうじゃないですか、やりましょうよ!」と言われ、決心がつきました。

--それが結果的に主力商品になったんですよね。

はい。材料も設計も品質も「関所」と言われるほど厳しかったんですが、内容は把握しているので、結果的には独壇場でしたね。安定した黒字が続くようになったのは、この出来事がきっかけです。

この防音材と内装製品、さらにカーエアコンのシール部品が加わって3大柱になり、やっと一人前になれたのかなと…。会社を興してから、10年が経っていましたね。

大企業とのギャップに戸惑うも、会社は徐々に拡大

--さて、顧問は長年工場長として活躍されてきましたが、工場長として大変だったのはどんなことですか?

大変なことというより、心配だったのが従業員のケガです。とにかく安全第一。また、工場の火事や災害にはいつも神経を遣っていました。

--人をまとめるという意味での大変さは?

前職でも部下が数十人くらいの時はあったので、人数の面での大変さは感じませんでした。個性的な人間はどこにでもいますからね。

とはいえ、今残っている社員は私から見ると優秀な方や素直な子ばかりなんで、あまり悩んだことはないです。

ただ「教える」という意味では、最初だけ前職とのギャップを感じました。大きな会社では人を育てる専門の部署がありますし、マニュアルも徹底されています。しかしここにはなく「PDCAでやりましょう」と言っても、まずPDCAという言葉を教えることからやらないといけない。また、業界特有の専門用語も多いので、日常に根付かせることには少し苦労したかもしれません。

--そのほか、環境が変わったことで何か具体的に行動されたことはあるんでしょうか?

私はせっかくやるなら、町工場ではなくてひとつの企業として形を成していきたいと思ったんです。

それは前社長も同じ思いだったと思います。そのためにはすべきことがあまりにもたくさんあるなと……そこで中長期計画を立てました。最初は会社のために作っていたのですが、結果的には自分のためになったと思っています。

--その計画は、体感としてどのくらい達成したと思われますか?

観的に見てみると、半分くらいですね。能力的な部分もありましたが、大半の理由は資金面です。前述のように「中小企業は楽そうだ」と思っていましたが、中に入ると資金繰りの大変さを痛感しました。ただ黒字を出せばいいのではなく「資金を回していく」というのがとても難しい。パソコン一台買うのも大変だった時がありましたし、「こうするために、この設備を整えたい」という希望も叶わなかったり…できなかったことの方が多いかもしれません。それだけ、中小企業にとって資金繰りというのは大きな課題なんでしょうね。

--なるほど。そういった大変な中で「工場長になってよかった」と思ったのはどんな時でしたか?

社員さんと仲良くなれたことですね。これは何ものにも代えがたい、素晴らしい思い出です。桜の名所である小倉公園にみんなで花見に行ったり、敷地内でバーベキューをやったり。

老若男女問わず「工場長!」って慕っていただけたことは、何よりの幸せでした。

--工場長にとって、印象に残っている製品があれば教えてください。

先ほど少し述べた内装製品ですね。素材そのものは買えば確保できますが、内装品にするには技術が必要ですから。作った製品がエンドユーザーさんから直接見えるということも、モチベーションになっていると思います。

--佐々木さんが誇る「粘着技術」を使った製品ですね。

はい。内装材を貼る際は接着剤を使うのですが、接着剤というのは厚みにばらつきやムラが出やすいので、メーカーさんからもよく「管理が難しくて…」という声を伺っていました。対して私たちが提案する粘着剤を使えば、管理も楽で施工も簡単で早い。コストも抑えられるんです。

ただ耐熱性の問題や、湿気がある季節には製品にしわが寄るので、その2つは課題でした。例えば耐熱に関しては耐熱クリープ試験、しわに関しては吸水試験などの評価技術などがありましたが、専門的な知識や経験があったので、どちらもクリアできたように感じます。

--これが技術とともに誇る「提案力」に繋がるんですね。

ええ。専門的な知識や経験とともに、説得材料となるデータを作っていきました。

山に囲まれた町工場で、専門的用語やデータが出てくるとは大手メーカーさんも当時は思わなかったでしょうね(苦笑)。

--内装製品が、会社の流れを変えたということでしょうか?

そうですね。こうしたお話は、それまで商社を通じてしかできませんでしたが、メーカーさんと直接お打ち合わせができるようになったのは大きかったです。この実績により、さらに違うメーカーさんからもご依頼をいただき、会社にとっては今に繋がる大きな転機になりましたし、

深い専門知識とデータに基づいた提案力は、他社にない強みになりましたね。

技術畑にいたからこそわかる、継承の難しさ

--顧問は先代と現社長のお二方と一緒にお仕事されてきましたが、両社長をご覧になり、今思うことはありますか?

そうですね…先代に関しては長男でしたし、佐々木家の一族を繁栄させたかったと思います。決して「俺についてこい!」というタイプではなかったですが、強い責任感を感じていたかもしれないですね。でも、身内ながら人柄の良さで人を惹き付ける魅力があったので、ここまで来られたと思います。

それは、決して頼りないからではなく「この人を助けたい!」と思わせるような……まあ、私も惹き付けられた一人ですけどね(笑)。

--弟さんとお仕事ができて、先代はお幸せだったと思います。現社長に関してはいかがですか?

二代目が難しいのはどの世界でもそうですが、まだ若いですからやりたいようにやるのが一番だと思うんですよね。人柄が良いという点では先代とは似ていますから、求心力というか吸引力というか、周りの人が「じゃあバックアップしていこう」って気持ちを持てるような社長になってもらえたら嬉しいです。

--さて、顧問はものづくり一筋でいらっしゃいましたが、今振り返ってみてどのようなことを思われますか?

ものづくりは難しいけれど、本当に素晴らしいものです。自分で選択して結果が出せることもあり、残業や徹夜が辛いと思ったことは一度もありませんね。自宅が名古屋なんで、雪が降ると帰れないから(苦笑)、宿直室を作ってもらったり。「経営」という面を除けば、楽しいものづくり人生でした。

ただ、ずっと技術畑にいたので、それを後輩に伝えることの難しさは感じています。知識や技術は教えられても、経験を伝えるのは培った「年月」があるので難しい。これはうちに限らず、製造業ではどの会社も悩んでいることだと思います。

--今後、佐々木コーティングがこうなって欲しいという夢はありますか?

材料技術という面では、業界としてはトップレベルに入ると思います。個人的には業界一だと自負していますけれどね。とはいえ、もともと製造業、ものづくりは大きく稼ぐ、いわゆる「ぼろもうけ」ができる業種じゃないんです。だからこそ最近言われているように「ものづくり」より「ことづくり」という発想の転換が必要だと思いますね。

会社にとっては社員も大事ですし、お客様も大事です。それから世間や環境も。ですから「Win-Win」ではなく「Win-Win-Win」へ。近江商人ではないですけれど「三方よし」が今後の理想ではないでしょうか。

これからは家で過ごす時間が増えるので、今までも余暇で楽しんでいた音楽を楽しもうと思っているんですが、たぶん一流の演奏者を見るたびに、仕事のことを思い出してしまうんでしょうね…。仕事と距離を置いたことで、今まで以上に仕事のことを考えてしまうかもしれない。

きっと根っからものづくりが好きなんだと思いますね。