ものづくり一筋に邁進した同社の功労者に、工場の立ち上げや製品誕生のお話、会社への思い--坂脇章さんインタビュー
「ものづくり」に携わり続けた28年
--坂脇さんは現場を知り尽くし、佐々木コーティングさんで勤め上げた功労者と伺いましたが、何年勤められたんでしょうか。
私は、関工場の完成前に入社し、2018年の12月20日で退職しました。勤めたのはまるまる28年です。最初の社員は、当時工場長だった佐々木顧問、私ともう一人の計3人でした。
--お仕事の内容はずっと変わらなかったんでしょうか?
主任でスタートし、最後は課長で終わりましたが、仕事はずっと製造。途中から指導する立場にはなりましたが、一貫して「ものづくり」に携わっていましたね。
最初は粘着の担当でしたが、バブルが崩壊した直後で仕事が少なく「今日は何を貼りましょうか」という毎日。しばらくして系列会社の佐々木製作所からプレスの仕事をもらいましたが、当時はプレスに関しての知識も経験もなかったので、やりながら覚えていたので大変でしたね。
--28年の中で、一番印象に残っている製品はなんですか?
そうですね……いっぱいありますね。どれも思い出が詰まっていますが、誰の目にも触れる内装品が始まった時は嬉しかったですね。それまではダッシュボードの裏やパッキンといった目に見えない部品が多く、メーカーの工場の見学に行って「ここに使ってあるのか」というのがわかる程度。それが、名だたる高級車に私たちの製品が取り付けられるんですからね。私はよく展示会にも行くんですが、ステージの中央でスポットを浴びる車を見るたび、とても誇らしかったです。
実はこの業界は移り変わりが激しいので「これを長く作りたい」と思っても、マイナーチェンジやモデルチェンジで変わらざるを得なく、それはたまに寂しく思っていました。
二度の震災、新工場の立ち上げ…激動の時とともに取り組んだこと
--坂脇さんが28年働いていらっしゃって、印象に残っていることを教えてください。
二度の震災です。まず阪神・淡路大震災の時には、関西方面でできない仕事の応援で、ものすごく忙しかったことを覚えています。
その数年後にはプレスの機械の軸が折れてしまい、古い機械だったのでスペアもなく、修理に1ヶ月かかるとのことで、夜勤をやろうと社長に直談判。昼間は現行のラインを動かし、夜は私と妻と、当時研修生として来ていたベトナムの女の子と3人で、1ヶ月夜通し働きました。このベトナムの女の子は来た時には言葉が通じず、最初に教えたのは仕事よりも日本語。でも優秀な子だったのですぐ慣れ、夜勤はもちろんその後も一生懸命働いてくれました。3年間の研修が終わって帰る時には、お互い涙涙でしたね。
--そんなことがあったんですね。では東日本の震災の時はどうだったのでしょうか?
この時は市場の動きより仕事が激減し、もしかすると会社にとって最大のピンチだったかもしれません。水曜日まで働いたらあとは休みというように調整休暇を取らないといけなかったんです。私は野球が大好きなんですが、当時、地元の関商工が甲子園に初出場しましてね、その応援にも行けたくらい時間がありましたから。
国から補助は出ていましたし、いずれ元に戻るので将来に対する不安はありませんでしたが、「働いていない状態」にいることがすごく辛かったです。自分にとっては、仕事をしているのが当たり前なのだと痛感しましたね。
--では、坂脇さんが個人的にも大変だったのもその頃だったんでしょうか?
私が個人的に大変だと思ったのは、新工場の立ち上げでした。これまで関市の小瀬工場、一宮工場、第三工場の立ち上げにリーダーとして携わりました。
工場が立ち上がる時というのは、だいたい新製品がスタートする時で、この新製品を完全に量産ラインに乗せるまでが大変なんです。どのくらいのスピードなら作業性が最大になるか、人は何人必要か、専門的に言えばプレスの圧力や材料の重ね枚数なども考慮し、納期から逆算していかなければならない。
トライ&エラーで検証しますが、材料が勿体ないのであまり失敗もできませんしね。自動車部品は利益が少ないので、いかに早く良質なものを作るかということが鉄則なんです。
なかでも一宮市の工場を立ち上げる際には、生産から出荷まですべて自分が携わり、パートさんや内職さんなど、人員を確保することも大変でした。
--「業務」という面だけを考えると、工場の立ち上げが一番大変なんですか?
はい、やはりゼロから作ることは大変です。でも、ものづくりが好きな性分だったので、技術・性能・効率すべてがバランスよくおさまった時には「よかった!」という気持ちがことさら強いんです。
まず実践してから後輩に伝え、みんなで作業のしやすさや、材料のポジショニングを検証して。そのうち15分でできたことが10分になり「これを8分でできないか?」と知恵を絞り…。みんなで前向きに頑張っている時は、本当に充実していました。大変なことも、すべて喜びになって返ってきた気がしましたね。
--こうして作られた製品には、お客様からのお褒めの言葉も多いのではないですか?
取引先の監査の方などに「そういう考えをお持ちなので、こんないいものができるんですね」と言われたときは嬉しかったです。
製造業に共通する課題には「人の力」が不可欠
--28年勤め上げて、今思うことはどんなことですか?
そうですね……もっともっと伝えたいことがありましたね。ひと言で言えば「ものづくりはとても楽しい」ということです。
仕事ですから楽しいことばかりではないですが、なるべく楽しく仕事をして欲しい。特にものづくりにおいては「興味を持つ」ことが大切なんです。「この部分はどこでどうやって使うか?」「自分だったらどうするのだろう?」と、興味を持ったり想像力を働かせることです。
興味を持ち、どこにどう使うかがわかれば、絶対にミスの許されない安全に関わる部品なのか、そこまでシビアにならなくてもいい部品なのか判別でき、仕事の中でもメリハリが作れると思うんですね。不具合を減らすことにも繋がります。
--興味を持つことで、ものづくりの楽しさも充実感も違ってくるんですね。
はい。最近はものづくりをテーマにしたドラマが話題ですが、あれは大げさとはいえ、自分も同じような経験をしてきました。「みんなでいいものを作ろう」「残業しても頑張ろう」と一致団結して、最終的には携わったすべての人が「やった! できた!」と全身で喜ぶ。こうしたことは年々薄くなってきているので、伝えられないのが残念です。
--なぜ変わってきたんでしょうか?
効率化や機械化も含め、机上の理屈が強くなってきたからでしょうか。もちろんデータは重要ですが、現場では違うこともたくさんあります。というのも、現場では1+1が、必ずしも2にはなるわけではないんです。
例えばプレスでいえば、スピードを上げれば計算上はたくさんできますが、脱型は手作業ですから、その分時間がかかってしまう。そうなると次の工程の梱包や箱詰め、検品に影響が出てしまったり、「プレスはしたのに、検品のところまで部品が届かない」ということもあります。また、ゆとりがあれば不良率は減ります。ある意味「急がば回れ」ですよね。
--では解決策として、坂脇さんからの提案はなにかありますか?
最終的には「人と人」とか「コミュニケーション」に尽きると思うんです。
先ほど野球が好きだとお話ししましたが、実は地元の少年野球で監督を13年務めたんです。13年も務めると、親の世代の変化とともに、子どものあり方も変わっているのを感じます。これは私の考えなんですが、今世間で問題になっているように、もう十把ひとからげで指導する時代は終わったと思うんですよ。「この子にはこう伝えれば伸びる」「こういう性格だからこう教える」というのを、個性や能力に合わせていくことが必要。ですから会社でも「その人を見る」ことが大事だと思いますね。
コミュニケーションに関しても同じで、上司や先輩から気にかけてもらえるのって、嬉しいものなんですよ。「○○くん、元気で頑張ってるな」と肩をぽーんと叩くだけでも、双方の距離がぐっと縮まる。一時期は古いとされてきたことも、また最近見直されるようになってきたのではないでしょうか。
--なるほど。上下の繋がりにおいて、風通しを良くする。
はい。会社の縦のラインで見ると、営業さんは新規の仕事を取るのも予算取りも大変ですから、私たちもなるべく応えたい。そんな時に話す場があれば、予算に合わせた型取りや作業工程が提案できます。
しかし機械化が進んだり、会社の規模が大きくなり分業化されると難しくなります。今後はAIの参入も加速化するので、うちだけじゃなくて製造業すべてが過渡期・変革期を迎えているのかもしれません。
だからこそ今、違う立場の人たちが互いの思いを通わせる必要があるんじゃないでしょうか。仕事の内容が違うからこそコミュニケーションを意識して、時にはぶつかって、ひとつのものを創り上げていく。そこでものづくりの原点やお互いが見えると思うんです。
私は3人からスタートし、そこからパートさんを含めてたくさんの方と関わらせてもらいましたが、その方々と出会えたことで、私はずっと仕事がやってこられました。いろいろな事情で退職したり、部署が替わった仲間から「坂脇さんの下で働きたかった」というようなことを言ってもらえたときは、感慨深いものがありましたしね。だから時代が変わっても、いや、変わっていくからこそ、「人」「コミュニケーション」の大切さを見直していけたらいいと思いますね。
--最後に、佐々木コーティングさんがこうなって欲しいという、坂脇さんの思いがあれば聞かせてください。
昔と違って手作業が減っているので、実感するのは難しいですが「ものづくりはやはり楽しい!」ということを、改めて感じて欲しいですね。
私は、製品すべてに愛情がありますし、特にプレス加工においては、どこよりもキレイに早く作りたいと日々心がけてきました。社内のメンバーにもそう伝えてきましたし、同じ気持ちでいてくれていると思います。ですから、それぞれが意見交換することで不要なものが削ぎ落とされ、さらに素晴らしいものを作れる会社になると確信しています。
現在業績が伸びていますが、人と人の関係性を意識すれば加速化していくはずです。新旧の良さをバランスよく取り入れて、ますます発展していくことを大いに期待していますね。